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Thursday, March 5, 2009

Bitter Honey

ネパールといえばヒマラヤというイメージが強く、この国が長年紛争下にあったことは忘れられがちですが、1996年からネパール各地でマオイスト(共産党毛沢東主義派)によるゲリラ戦が繰り広げられ、多くの命が犠牲になりました。

10年続いた内戦は2007年の和平協定によりようやく終結しましたが、その後も情勢は不安定で、現在も政治的に不安定な状況が続いています。

さて、そんなネパールで、私が現在働く団体は紛争中も事業を継続して実施してきました。先日地方を訪れた際、現地スタッフのP氏から、当時の辛い体験を聞くことができました。

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P氏は当時、
マオイストが活発に活動する地域を含むネパール西部の教育事業担当でした。

いくらマオイストの子どもだからといって教育を受ける機会は平等に与えられるべきとの信念のもと、マオイストが多く住む地域でも事業を継続して実施していました。

そんな地域を度々訪れるP氏は、マオイストから政府側のスパイだと思われ、何度も捕らわれることになります。

一晩で解放されることもあれば、数日間捕らわれることもあり、銃を持ったマオイストに囲まれながら、その度にもう生きて帰れないのではと覚悟したそうです。

ただ、捕らわれる度にマオイストの中のある一人が「もう少し待て」、と仲間を説得し、なぜか毎回生きて帰ることができたそうです。
そんな辛い経験を繰り返し、何度仕事を辞めようかと思ったか、とP氏は言います。

紛争が終わり1年ほど経ったある日、彼はばったりと当時自分を捕らえていたマオイストに出会います。周りを引き止めていた例のマオイストのメンバーです。

P氏はびくびくしながら彼の前を通りすぎようとすると、そのマオイストはすがるようにP氏に話し掛けてきたといいます。

「我々はお前を何度殺そうと思ったかわからない。ただ、自分は君たちが良いことをしていると知っていたから仲間を引きとめたんだ。今こうして再会できたからには私は君にお礼を言いたい。自分の子どもたちは君たちが活動を続けてくれたことで文字が読めるようになり、教育を受けられることができた。本当にありがとう。」

と言って、そのマオイストはお礼の印に自分が作ったというハチミツをP氏に手渡しました。
それは紛争中もあきらめずに事業を継続して本当に良かったとP氏が感じた瞬間でした。

そのハチミツの味は...さぞかしbitterだったことでしょう。





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